はじめまして南浦高志と申します。夏は勾玉作家、冬はスノーボーダーとして活動しています。 私が勾玉を作り初めた流れをお話します。初めは石が好きと言う事もありお守りとして勾玉を普通にお店で購入しました、そして身に着けるようになってから偶然のような必然が増え良い流れに乗り始めました(そうのような気持ち想いが現実を引き寄せたととも思います)。翡翠の勾玉の力の偉大さを実感しました。翡翠勾玉は人の心を穏やかにし、その心の波動が流れを引き寄せ体験として、沢山の事を教えてくれるように思います。遥か昔の方々は石を地球の長老と呼び一人何個かの地球のかけら、小さな地球である石達と一生を共にすごし沢山の事を学ぶそうです。私もまだまだ未熟ですが、勾玉を持ち始めてから沢山の事を体験をとおして気ずきを与えてもらいました。本来、人と石は密接に継っているものと思っています。もともと石拾いが好きだったのもあり、自分で勾玉を作ってみようと思い新潟県糸魚川市(いといがわ)の海岸で石を拾い作りはじめました。そして糸魚川の勾玉について色々と調べました。すると日本神話ではその頃、翡翠の勾玉の発祥地である糸魚川周辺の呼び名は高志(コシ)の国と呼ばれていたようです。私の名前(高志)の漢字が同じだったのです。日本各地や大陸から出土される、翡翠勾玉はこの高志(コシ)の国で作られた物が多いとと言われています。ちなみに私の母親の名前は糸魚川(いといがわ)の名前に近い 、いと子と言います。そして私が勾玉に興味を持つ前の時に霊性修行(自分なりですが)をしたのも偶然にも糸魚川の翡翠峡にある明星山でした。そして翡翠の女王 奴奈川姫様の名前から名付けられた姫川の源流の白馬村に20年前に越してきたり、など他にも書ききれないくらいの偶然のような必然が沢山起こり勾玉作りに対して天命的なものを感じ作るようにまりました。このような偶然の一致は神や自然の声とも言います。この偶然の一致に従って生きて行くうちに自然と勾玉を作っている自分がいました。長野県に多く祭られている諏訪大社の祭神である建御方命様の母親であり、メノウ勾玉で有名な出雲大社の祭神である大国主命様の妻である、奴奈川姫様(翡翠の女王)がこの世の幸せを願い、この高志(コシ)の国から翡翠勾玉を広めていったようです。私もその思いを受け継ぎこの世の全ての生きとし行けるものの幸せを想い勾玉作りをしています。作り初めの数年は仲の良い友人や病気の方や転機を迎えた方に渡していました。そして活動を続けてると、ありがたいことに買いたいと言う人が現れました。この流れに乗り思いの入った勾玉の素晴らしさを広めたいと思いこのホームページを作成しました。どうぞよろしくお願いいたします。長い文章を最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。